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People 社員インタビュー

GTエクスプロアスタジオ

GT Explorer Studio

STAFF INTERVIEW

ロサンゼルスのGTエクスプロアスタジオ勤務。ナイキ本社勤務を経て2006年ポリフォニー・デジタル入社。ペブルビーチ・コンクール・デレガンスと「グランツーリスモ」のコラボレーションや、ビジョン グランツーリスモにおける自動車メーカーとの渉外などを担当。

  • 高校時代にニューヨークへ

    生まれは東京の吉祥寺です。地元の私立小学校に通っていて、そのまま大学まで通うだろうと思っていました。子供の頃からクルマ好きで、中学生になるとスカイラインの開発者だった桜井眞一郎さんに憧れました。

    『カースタイリング』という雑誌の情報を通じ、カーデザイナーになるには、カリフォルニアにあるアートセンターカレッジオブデザイン(以下、アートセンター)という学校に行くのが王道だと知ったのですが、海外の学校に入る具体的な道筋は見えませんでした。

    高校に入ってすぐ、父の仕事の都合でニューヨークに引越しをしました。高校を出たらアートセンターに進みたいと周囲に相談しましたが、両親から「まず日本の大学を出てから考えればよいのではないか」とアドバイスを受け、帰国して大学の法学部に入学しました。

    就職活動では自動車やその周辺メーカー、商社、広告代理店など幅広く受けましたが、就職先として選んだのは大手百貨店でした。

  • 百貨店からアートセンター

    私はカーデザインだけではなくファッションにも興味があって、日本における伝統的スタイルと言えば着物ですから、そこから勉強したいと思ったわけです。江戸の呉服店を発祥とする百貨店で呉服部に配属され、帯一本数千万円というような世界に触れました。

    美しい工芸品としての着物を最前線で扱うことや、老舗百貨店ならではのお客様への接し方が学べたのは良い経験になっています。

    百貨店を辞めてポートフォリオ作成に集中し、アートセンターに合格することができました。前半の2年はスイスにあった分校に通いカーデザインを学びましたが、後半の2年はカリフォルニアの本校で環境デザインに専攻を変えました。

    というのも、カーデザイナーというのは専門性が非常に高いため、クルマ以外のデザインを手掛けることが比較的少ないんですね。一方、プロダクトや環境デザインの世界では、例えばホテル内装のデザインをしたデザイナーがラップトップPCのデザインをしてもおかしくない。そちらの方が自分に合っていると思いました。

  • ナイキ時代

    アートセンターは知名度のある学校だったので、卒業が近づくと企業側から面接に来てくれて、その中の一社がナイキでした。特別な思い入れなく働き始めたナイキでしたが、イノベーションとデザインを重んじる会社のカルチャーに大変共感しました。

    一方、クルマへの関心は片時も失わなかった私に、転機が訪れます。ある日、アップルでニュートンを担当したこともある上司から「グランツーリスモのクリエイターのヤマウチがナイキに来る」と聞きました。そこで「自分は日本語が話せるから通訳をやりますよ」と申し出ました。その時点では双方に具体的なアイデアはなくて、「ナイキのスニーカーに『グランツーリスモ』ロゴを入れて、リミテッドエディションとして販売する」くらいの話からスタートしたのですが、私はそれ以上の可能性があると感じていました。

    今でもそのときの緊張感をよく覚えているのですが、確か二回目に山内がナイキに来た時、会議室から出て廊下を歩いているのを後ろから呼び止めて「山内さん、ナイキのクルマをデザインして、『グランツーリスモ』に入れたらどうですか?」と提案してみました。すると「それは面白そうですね!」というポジティブな反応で、そこから一気に話が進みました。

    最終的にこのアイデアは『グランツーリスモ 4』の限定版に同梱されているTシャツに描かれている模様を、PlayStation®2のEyeToy™で読み込むと、ゲーム内で「NIKE ONE」という架空のクルマが出現する、というプロジェクトとして結実しました。

    「NIKE ONE」の仕事は、クルマ好きな私にとって大きな刺激になりましたし、ナイキ同様にイノベーションとデザインを重んじ、経験や役職にとらわれることない自由闊達な社風のポリフォニーであるなら、その可能性をさらに広げて行かれると感じ、私はポリフォニーに入社することを決めます。

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  • 最初に実現したのはペブルビーチ・コンクール・デレガンス

    入社してしばらくは、ひとりでもがいてました。どこから手を付けていいか誰も指示してくれないですから。

    最初に実現したのはペブルビーチ・コンクール・デレガンスに山内が審査員として加わり、同時に「グランツーリスモ・トロフィー」(当初は「ポリフォニー・デジタル・トロフィー」)という新しい賞を設けたことです。歴史と格式のあるイベントですから、簡単なことではありませんでした。何のコネもなく、代表電話番号に電話をかけるところから交渉を始めました。

    また、現在力を注いでいる企画のひとつに「ビジョン グランツーリスモ」があります。これは、架空のクルマを「グランツーリスモ」のためだけにデザインする、それも純粋な自動車メーカーに限らず幅広い分野からカーデザインを試みるという意味で、ポリフォニー入社のきっかけとなってくれた「NIKE ONE」プロジェクトの発展系ともいえ、特別な思い入れがあります。

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  • エクスプロアスタジオ募集について

    コラボレーションを通して「グランツーリスモ」の世界を広げていく仕事ですから、外部の皆さんと友好関係を築くことが大切です。個人的な考え方かもしれませんが、コラボレーションがうまくいくかどうかは、最終的には人と人のつながりによるところが大きいです。

    また、幅広い視野が必要な仕事でもあります。クルマとゲームだけ見ていればよいのではなく、発想はあらゆるところにあり、例えば、今日食べたおやつのかりんとうにオリーブオイルをかけたら、といったところから何かが生まれるかもしれない。

    エクスプロアスタジオの仕事は誰からか「これをやってくれ」と指示を受けてやるという性質のものではないです。自分で発想した強い動機に基づいていないと、それを実現する力をだせないし、結果もあまり面白くなりません。常にエクスプロア(開拓)の精神で、「新たな世界」を独自に切り拓き乗り越えていける逞しさを持っている仲間が来るのを待っています。

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